宮下伸 箏・三十絃作品演奏会「令和の言祝」満員御礼

令和元年6月22日、紀尾井小ホールのある5階の窓からは、東宮御所や迎賓館がすぐそばに、その向こう側には来年の東京オリンピックの新しいスタジアムが望める。

開場の少し前からの雨。

日本らしい、しっとりとした風情ではあるが、足もとの悪い中であるにもかかわらず、入場口は既に行列。

開場してすぐに客席の大半は埋まってしまう。

一方、午前中からのゲネプロを終えた舞台裏では、演奏会の全ての作品を創り育ててきた宮下伸が、やはり手塩にかけてきた演奏者である弟子達の前で、開演にあたっての挨拶をしていた。

傍らには伴侶として宮下を長年支えてきたパートナーであり、演奏会のプロデューサーである道源飛鳥。

宮下社秀(まほろば)会は、宮下の芸・作品に惚れ込んで集った集団で、日本の新音楽を切り拓いてきた家元・宮下伸の精神を反映して形式にとらわれない、自由闊達な空気に満ちている。中心となる高弟ほど宮下伸作品に傾倒していて、語り出すと本当にキリがない(笑)。

プログラムは宮下の新作初演曲である「祝楽 令和」から。弥栄の時代を期して生み出された三十絃独奏曲。

もう半世紀近く前になるNHK委嘱の三十絃独奏曲である「越天楽今様変奏」から、宮下と三十絃の語り創り出す音楽には、一環したテーマが込められているように感じられる。もちろん、膨大な作品群全てにも共通しているのだけれど、三十絃と対峙した時の宮下は一際、創造に没頭しているように思われてならない。

言葉に仕切れるものではないが、宇宙の深海に潜む何ものか、が音となって現れているような気がする。

かつて、寺山修司は宮下の三十絃に触れて「私はその呪術的か力にがんじがらめにされてしまう自分を感じた。それは、音色で編まれた七色の蜘蛛の巣を思わせた」と記した。

「祝楽 令和」も、令和だから作った、という安直なものではなく、宮下伸作品に通底するテーマが新しい御代の時代性を伴って表現されたものだ。

そもそも宮下は体制におもねるタイプの芸術家ではない。

自らの会に付けた〝まほろば〟の言葉の示すように、宮下の精神性・精神世界が、長く平和を祈り続けてきた我々の国の弥栄に通じているのだ、と見做すべきだと筆者は思う。

演奏の前後、弟子達を楽屋で激励する宮下。演奏会に向かって、宮下はますますエネルギッシュになり、当時の今日は最高潮。

合奏曲群はどれも代表作品とも言えるものばかりで、「華やぎ」「煌」はそれぞれ委嘱作品からアレンジされたもの。宮下伸は、作曲家としての委嘱作品も多い。前者は宮下のルーツである群馬県で行われた全国高等学校総合文化祭、後者は高崎市政百周年によせて創られたもので、初演は群馬交響楽団との競演だった。

「こもれび」「琉歌」はそれぞれ日本の自然をモチーフにした演奏者にとっても魅力に溢れた作品である。陰影の濃淡や揺らぎがくっきりと脳裏にイメージされる「こもれび」は今回、箏二面による競演となった。琉球旋法による「琉歌」は沖縄の人々との心の交流から生み出された曲で、沖縄返還の2年後に作られている。

「悠久なる大地」は、箏と朝鮮半島の楽器であるチャングとの競演「悠久なる山河」をもとにしている。異種・異文化のハーモニーや情熱が根底には込められている。

「滄海に」「海光Ⅱ」と、海をモチーフとした作品。宮下作品は海に関連したものが多く、どうも宮下作品のひとつの秘密がここに隠されているようにも思われる。「生命は、海から生まれて来て、死ぬときはまた海に戻っていく」と宮下が筆者に語ったことがあった。宮下の死生観と大海原とは深い関係があるようだ。十七絃独奏による「滄海に」は、が交じりあい、静寂から時には情熱的に、そしてまた静寂へ消えていく……そんな宮下の生命に対する想いが表現されているように感じる。宗家の子どもたちによる「海光Ⅱ」は、その海からやってくる生命、新しい光そのものだ。

いよいよ最終曲「平和への祈り」の舞台へ向かう宮下。写真とはいえ、演奏直前の姿の公開は貴重だ。タイトルそのものが本曲を表しているわけだが、この混沌とした世界やアジアの中にあって、我々が期するべきこと、祈るべきこと、謳うべきこと、そして実現すべきこと、宮下の表現した令和の言祝、とはまさに、〝平和への祈り〟に他ならない。

(秀龍)

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